捨てる神あれば拾う神あり
最近、友人の話を聞いて、心を動かされる出来事がありました(なお、特定を避けるため、脚色編集はしてます。)。
その友人は自営業を営んでいるのですが、ここしばらく、商売上のトラブルが重なっていたそうです。
取引先からの誤解、信頼していた人からの裏切り、予期せぬ損失……精神的にもかなり疲弊していたと。
そんな中、自宅で子どもが置きっぱなしにしていたおもちゃに足のすねをぶつけてしまい、悶絶。
びっこを引きながらでないと歩けない、階段の上り下りも一段一段、痛みに耐えながら。
「なんでやねん・・・」と何度も思ったそうです。
しかし、ある日、昔お世話になった方から、突然一本の電話がかかってきました。
「元気にしてる?」というたった一言。
それだけの言葉なのに、その瞬間に涙が出そうになるほど、心に沁みたと言います。
普段なら何気なく受け流してしまうような一言。
それでも、弱っているときには、その一言がどれだけ支えになるか。
少しずつ足の痛みが引き、再び普通に歩けるようになったとき、友人はこう感じたそうです。
「歩けるって、当たり前じゃなかったんやな。」と。
辛い経験を通じて、人はようやく「当たり前」だった日常のありがたさに気づくのかもしれません。
歩けること。
仕事があること。
話せる相手がいること。
理解してもらえること。
どれも、当たり前ではない。そう気づいたとき、友人の表情はどこか穏やかでした。
いま、この記事を読んでくださっているあなたが、もしも「自分の声を誰も聞いてくれない」と感じていたら。
「一方的に悪者にされている」「自分の話をする場さえ奪われている」──そう感じているとしたら。
その苦しさは、決して軽いものではないと思います。
誰に相談しても、「加害者だから」「あなたが悪い」と話を聞いてもらえない。
状況を説明しようとしても、すでにレッテルが貼られてしまっている。
孤立と無力感、悔しさと焦りの中で、ただ時間だけが過ぎていく。
そんな時、人は「どうせ誰も助けてくれない」と思ってしまいがちです。
でも、私は信じています。
「捨てる神」がいる一方で、「拾う神」も、必ずいることを。
私の友人にとっての一本の電話がそうだったように、
ほんの小さなきっかけが、人を再び立ち上がらせることはあります。
私は法律の専門家として、日々さまざまな方の相談を受けています。
「本当はどうしたかったのか」「どうしてこうなったのか」という声を、きちんと聞くことが大切だと、強く思っています。
いま、あなたが「もう誰にも頼れない」と思っているなら。
「助けてくれる人なんていない」と感じているなら。
一度、話を聞かせていただけませんか。
あなたの声を、私は聞きたいと思っています。
最後に
人生には、自分ではどうにもならない嵐が吹き荒れることがあります。
すべてを失ったように思える時もあります。
けれど、そんな時こそ、誰かの存在が心の支えになります。
「元気にしてる?」という一言で救われた友人のように。
そして、あなたにも、きっと拾う神はいます。
もし、いまそれが見つかっていないなら、私はその一人でありたいと思っています。
どうか、勇気を出して声をかけてください。
あなたの話を、あなたの想いを、私はしっかりと受け止めます。